昭和42年06月14日 夜の御理解
今朝の御祈念が終わって一通りお取次ぎが終わった頃でした。吉井から波多野さんのご本家筋の病院をしておられるのですね。その方達が夫婦でお礼参拝をされました。別にその願い参りをしておられたというわけではないのですけれども、杉さんさんというてね、杉病院の先生、ご夫妻なんですよ。それにこの頃から海外旅行をしておられた。色々あちらの話を聞かせて頂いたのですけれども。
本当にあのあちらの素晴らしさいや日本の素晴らしさという、本当に日本という国は良い国ですよというて、最後の話しはそうでしたですけども。旅費だけが一人が65万円かかるそうです。二人で130万かかる。それにお小遣いからいれたら、相当な金額がかかるのです。まあ、そういう結構なご身分の方達なんです。それであちらにご旅行をされるというので、別に信心があるわけではないですけれども。
波多野さんがね御神米を頂かれましてね、その方達、夫婦の方を願いなさって、御神米を頂いてそして立たれたんです。それでも本当にあの信心はないけれども、これは、もう本当に金光様のご守護の中にあるのだなあ、これを、あの京さん達が波多野京というですね、京さん達があの、おかげといわれるのだろうというて、その夫婦で始めから最後までいうて、実は帰ってまでもその事を実感させて頂いた。
すぐお詫びにでてこなければならなかったんですけれども、もう帰ったとたんに体が疲れて一日、2日休んで今日になりましたというてから、お礼に出てみえられたのです。お話を聞かせて頂きますとですね、もう実にそのあちらでの、もうこれはお母さん『ふがよかったというだけではなかばい』これは神様のご守護を受けておるとばい。という位にそのタイミングよくおかげを頂くと同時に。
最後に御神米を二人で二粒づつこう、毎日頂かれる。飛行機だけでも十何回乗られたそうですが、その乗られる度に二粒づつ頂かれる。もう帰りの飛行機に乗らせて頂くまであったそうです。最後に4粒残っておった。べつに本当にあのもう、椛目の先生は生神様のごたるちそげん冗談でも言いなさる、ほんなこてもうちゃんと見通しちゃったごたというてから、別に私御神米を数えてあげたわけではないのですからね。
けれども、そういう確かにご守護の中におかげを頂いて、帰ってからまた驚きました。というのは、あちらの新聞を見せて頂きましたら、私共が立たせて頂いた飛行場があの日が最後でですね、もう、飛行機が出らなかった。戦争のために。もう本当におかげを頂きましたというてから、今日は真から喜んでお礼参拝でございました。そこであの、お茶でも飲ませて頂きながら話した事でしたけれども。
その私は丁度次々御取次させていただい取りましたけれども、あちらでその、あそこにかけてございます。ここの綱領とでも申しましょうかね、あの4カ条の馬鹿とあほで道を開けとか、凝りをつむな、凝りをつますなとかというその、御教えを見られてからですね、他はみんな意味はわかるのですけれども、あの凝りをつむな凝りをつますなということはどういうような意味でしょうかという事であった。
私はとっさに、そうですなあ、凝りというのは水垢離をとる時に凝りと言う事をつかいます。またしこりを残すと言う事もしこり、ね、しこりが出来るという事もある。いわゆるそういう意味での、凝りというのをつかってあるのですけれども、なかなか凝りをつますなと言う事がなかなか難しい。ね。例えばです、ね、その人のためにと思うていうても相手の人からがですよ。
私にこんなひどいことを言うたと言うて、言うたらもう凝りをつませた事になりますからね。例えばなら、私が良い着物を着ておってもです、先生は立派な着物を着ておられるというて喜んでくださる方がおるかと思うとあん奴は今ちーとばっかり儲けたけんあげなよかとば着とるち言うてから、凝りをつむのですからね、これは言わんでも凝りをつむ、凝りをつませんという事が難しいですね。
私は本当に凝りをつませないと言う事が難しい。だからまあせめて意識をしてから凝りをつませるようなことがあってはならないなあとお話をしながら思うたのですけれどもね。なかなか良い教えですね。そして、同時にまた凝りをつまんと言う事も大変難しい事ですねとこう言われるわけなんです。そうですね、凝りをつまんということは、けれども、これは自分のほうですから。
つむまいと思うたらつまんで、ところが中々そんなわけにはいかん。ところが、つむなということも難しいと言う事をまあ、言うておられましたから今朝からの御理解で私話させて頂いたのですね、結局神様が分かれば分かるほど凝りをつまんですむですね。だから、自分が凝りをつまんと言う事は良いです。誰がどんなに顔にかかるような事を言うても、どんな態度を取られても、ね、おかげでとなればいいのですから。
凝りをつまんですむ。だから、凝りをつまんですむだけのおかげを頂きたい。もうせめてこれだけはですね椛目にご縁を頂くならばです、凝りをつまんですむだけの、神様を頂かなければうそです。凝りをつませんということもです、自分が意識をして、例えばこりをつませるようなことではいけません。もう、相手の心の中をさすように、言うたり態度にとったり、それはやはりいけませんですよね。
特に椛目にご縁を頂いておる方たちはあの、四つの御教えというものは本当に大事にしなければいけないです。まあそういうようなお話をさせて頂いたのですけれどもね。本当に神様が分かればそうかもしれませんね。けれども中々つまんと言う事も難しいですね、成程神様が分からなければ難しいですね。神様のお働きの中にある氏子かわいいという一念だけ神愛だけそこが分かってきたらこりは全然つまんですむです。
けど、凝りをつませないということは中々難しい。今いうように、例えば私がよか着物を着とったっちゃ、ある人はこりをつむ人があるかもしれんのですからね。あれがよか着物をきとったというて腹をかく人がある。ですから、これは中々難しい事。けれども、せめて意識してから、凝りをつませるようなことであってはならんとおおせられる。帰られましてからでした。
あの上野愛子さんといよりました、今眞田さんといよりますけど愛子さんのご主人の妹さんが津福本町に嫁にいっておられる。お百姓さんなんです。それが一月前くらいに参って見えられた時にですね、もうお母さんと愛子さんと三人で参ってきたんですけれどもね、そのお母さんの前でですね、もうどうせ、私だんもう、その早死にするとにかく病気を持っておるわけなんですね。
姉さんも丁度ガンで入院しておられました。自分も、もうガンであろうと決めておられる。ここに、それこそしこりがある。なんか、ここに固まりがある。それが、最近裏表から痛む。医者にいわせればすい臓がはれておるとこういう。けれどもそれだけではない病気があることが自分で分かる。ね、とにかく私だんどうせ早死にせなんとじゃけんで、ここに来てからそういうそのまあ、投げやりなことをいわれる。
お母さんは涙をぼろぼろ流してから、あんただんが先に死ぬごたる事でどうするの、もう先生私が長生きしたばっかりに、こげな、悲しい思いをせにゃならんというてお母さんがその、悔やまれた事があります。もう一月ぐらい前でございます。それでその、私がね、今度のとり入れ取り上げには私がその、御用が出来るようにお願いをするから、それから、丁度取り上げの始まる前に二三回参って見えました。
そして、大変おかげを受けられた。そして、その、しこりもなくなった。ね。おかげでもう、このまえは色の白い方でしたが、今度取り入れしとりますから顔色も小麦色に健康そのもののような顔で今日お礼に出てみえられました。昨日愛子さんが夫婦で出てきましてから、あの、妹さんまだお礼にでてきなさらんじゃろうか、という事でしたけれども、まだ、来ないよと、とてもおかげを頂いてからもう。
取り上げもじゃんじぁんされましたもう、とても今年の取り上げが出来ないだろうというておられたのがです、とり入れが出来ましたというて、申しておりましたが、今日お礼に出て、お礼じゃないお願いに出てみえたんです。そしてそれがやすんでもう大分になるでしょうあちらは。そして、お礼にいかにゃんばってん、お礼にいかにゃんばってんとは、いいながらお礼に出てこなかったうちにです。
又、しこりが出来てきた。そして、また、同じ裏表が痛むようになった。それで、今日またお願いに見えた。ね、それで私は信心をさせて頂いて一番大事なことはねおかげと思うたら本当にその、おかげを形の上に現してお礼参拝をさせてもらわなければなりません。お願いにはそれこそ、もう、慌てて出てくるけれども、ね、お礼に慌てて出てくる氏子が少ない。と、御理解の中にもございますように。
とにかくお礼のほうを急がしてもらうような気持ちにならさせて頂いたらもうお礼お礼でお願いに来ることなんかないくらいにおかげを頂きますよと今日は昏々とそんな話をさせて頂いたことでございました。また、これは、ちょいと名前をおきます。ある方がある難儀な問題をお願いに見えられました。ね。ですから先生やっぱりあの神様どうかとお願いしよってもなんですから。
人事も尽くさなければなりませんから、誰々さんのところにも、ご相談に行こうとこう思いますという事であった。それは、いきなさたっちゃよかたい。ちこういいよりましたら、それから、そのお届けをさせて頂きよりましたら、神様から私頂きますことですね。神事を尽くして人事を尽くせと頂いた。神事を尽くして人事を尽くせと。人事は、ところが人事を尽くして神様にすがるというのが普通ですよね。ね。
一生懸命のことだけはする事だけはしてから、神様にすがるとこういうのです。けれども、今日の御理解はそうじゃない。神事を尽くして、人事を尽くせとこういわれるのである。信心の方も手落ちがないように、ね、一心におすがりもする。その、一心におすがりもするということがです、神事を尽くすという事なんだけれども、それをもちっとなら具体的に申しますならばどういう事かというとです。
○○さんあなた日頃ここだけは改まらんならんと思う事があろうがと私は申します。 そのことば改まって人事を尽くしなさいと私は申しました。ただ、拝む参るということだけではない、神事を尽くすという事は。日頃ここだけは改まらにゃんと思うておるところを、改まって人事を尽くしなさい。ね。私はそういうお取次ぎをさせていただきながら思うたんですね。もう改まって人事を尽くすというけれども、もう人事を尽くす前に必ずおかげを受けるであろうという事でございます。
これはもう私の体験からこれは言える。ね。皆さんがですね、やはり形の送り合わせより心のお繰り合わせを願えと仰るが、形のお繰り合わせを願う前にまず自分自身の心のお繰り合わせを願うという事はどうぞ私の心の中に和らぎ賀ぶ心を頂かせてくださいというだけじゃいかん。自分の心の中にお繰り合わせを頂くためにはです改まって願わにゃいかん。ね。改まって願うところに心にお繰り合わせが頂けれる。
心にお繰り合わせが頂けれるところには、もう人事を尽くす前に恐らくはおかげをこうむるのだろうと私は思うのです。まあ今日は私は一日、お取次ぎをさせて頂いた中の3事をまあ、今日のトピックスというところでしょう。ね。この三つのことをもうしましたが、その中から色々信心をさせて頂くものは分からせて頂かなければならないこと、そして、分かっておるけれども、なるほどとなおいよいよ、そこんところを深めていかなければならない事などを申しましたですね。
どうぞ。